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皆さんは外に出かけている際やテレビに映っている人(芸能人)を見て、「あの人おしゃれだなあ」と思ったうえ、それが外見だけでなくその人の内面からエネルギーを感じたりすること、1度や2度はあるのではないでしょうか?例えば、自分が電車に乗っているとします。その時自分の向かい側に座っている40代くらいの女性が明るいオレンジ色の優しい風合いのブラウスを身にまとって活き活きとした表情で座っている。人の印象は見た目や外見が9割とも言いますが、「あの人なんか素敵に見えるなあ」、「おしゃれに見えるなあ」、「羨ましいなあ」と思われている人ほど外見だけに気を配っているというわけではないのです。では、そのような人たちは外見以外のどんなところに気を配っているのでしょうか?そして、おしゃれは外見だけがすべてなのか?おしゃれの可能性や本質について考えてみたいと思います。
結論、「あの人なんかいい、おしゃれ、素敵、羨ましい」と思われている人ほど、外見よりも前に自分自身と向き合う習慣をつくっています。自分で自分を理解し、どう見せていきたいかを外見で表現しようとすることです。
自分自身と向き合う習慣をつくっているということはどういうことかというと、自分や他人との関わりにおいて、自分がどういうキャラでどんな環境だったら心地よくいられるか、自分ならではの軸を言語化し、それを明瞭にアウトプットできるような行動を日々行なっている、といったかたちです。短くまとめると、「自分の世界観を持っている」というに等しいのではないでしょうか。実際、私もSNSや今までお会いしたことがある人の中でも世界観があるなあと感じる人は結構いますし、そのような人ほど外見だけではなく声のトーンや話し方、姿勢、表情まで世界観が映し出されているなと思うわけです。どう感じるかは人それぞれですが、本当のおしゃれは外見だけによるものではない、ということです。
逆に、「おしゃれだね」と人から良いように見られたい、おしゃれな自分が常に優位な立場でいたいなどと、見返りを求めるためだけによるものはどうでしょうか。承認欲求ともよく言われますが、外見だけで頑張ろうとしても結局期待してたものが得られず自分を責め、無駄に心の体力を消費してしまいがち。そうやって無理に外見で頑張ろうとするのではなく、少しずつ自分の良さや理想と向き合って、そこで紡がれた自分をファッションや日頃の動作に反映し、表現していく。これを習慣化できるかできないかが、「本当に価値あるおしゃれ」との分かれ道であり、承認欲求なども気にすることも少なくなると私は思っています。