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ファッションで自分を魅せる、ファッションで自分の個性を表現する、あるいはファッションでありのままの自分を表現する。
ファッションで自分をどう見せたいかは人それぞれだけど、上に書いたようなこだわりや想いも「みんなちがって、みんないい」という考え。
昭和初期の詩人、金子みすゞの代表作『私と小鳥と鈴と』をご存じでしょうか。
平成生まれの方にとってはおそらく国語の授業で学ばれた記憶もあるかと思いますが、今回の投稿に沿って注目してほしいのが最後の文章。
「みんなちがって、みんないい」
これをファッションに例えた時、何かしらの服や小物を身につけることは生活上欠かせないけれど、たとえ着る服が制服みたいに同じだったり、異なる服でも隣にいる人とよく似ていたりしていても、人は誰でも生きるだけで価値があるもの。そして「服を着る」ということは、生きる価値のための大きな一つの手段にすぎないのです。最初はクローゼットにある服を適当に着る場合であっても、生活上必要不可欠であり、歳を重ねるたびに周りからの信頼や社会的ルールに敏感になっていくことで服に意識も向くようになり生きる価値や楽しさの表れにつながるのではないでしょうか。
したがって、ファッションで自分を上に立たせたりとか、知識やセンスの有無で他人を見下したりとか、自分と他人を比べたり競い合ったりする必要がまったくありません。みんなが違うこだわりや想いがあって、それを互いに認め合うことができるから、ファッションは楽しいのではないかと思っています。逆に、よくありがちですが求めてもいないのに勝手にマウントを取ってばかりな人は、自分に自信がなくファッションを楽しみたいのに楽しめてなかったり、そういった感情の起伏が激しくてつい承認欲求に走る傾向が多いため無理に相手にしないことも大切です。
そして、ただ自分のファッションに満足するのではなく他人のファッションも見て知ってあげることで「なるほど、こういう着方もあるのか!」と自分一人では気がつかないような部分に、些細なものでも出会えたりもします。ファッション誌や人の多い都会では、そういう収穫をよりたくさん得られる場合が多いですが、逆に人が少ないような所でも魅力的な人を見かけると、それだけ感慨深かったりもします。

みんなと違うファッションを楽しめる幸せ。
他人のファッションも知れる幸せ。
ファッションでそれぞれの個性や魅力を感じることができる幸せ。
でもそれは無理をしてまで同じにしようとする必要はありません。
ファッションも、お互い違う楽しみ方に気がつき、それを受け入れてあげられるかどうかで、なりたい理想の自分への道も開けてきます。